今の社会保障制度が将来の禍根になる(111)
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テレビ画面に女優の田中裕子が映っていた。沢田研二の奥さんで、最近では老け役をこなすようになった。しかしこの頃はまだ20代後半で、その若い田中裕子が中年の女に扮してオート三輪で行商をしていた。
「これがおしんですか」
昼飯を食べながら、再放送のドラマを見ていた。駿河台にある行き付けの飲み屋で、昼は客を引くためか定食を出している。顔見知りの店の親父が、「あんた、おしん見たことないの⁉」と怪訝な顔をした。
この年、春からNHKで始まった朝の連続テレビ小説『おしん』が大ヒットしていたのは知っていた。山形の小作の貧しい農家の娘として生まれた主人公おしんが、明治、大正、昭和の激動期に辛酸をなめながら生き抜く物語である。脚本家はあの橋田壽賀子である。
平均視聴率は52.6%だったようで、この11月には62.9%という驚異的な最高視聴率を記録する。つまりこの時期、日本の家庭の半分以上が、朝8時15分から30分までテレビに噛り付いていたというわけだ。まさに国民的テレビドラマだった。だから知らない方がおかしいということになる。
だから私は知らないわけではない。前年に総理大臣になった中曽根康弘が行財政改革に乗り出していた。その総理が国会でおしんといわれて話題にもなっていた。さらに経団連の稲山嘉寛会長の口からおしん発言が飛び出すなどブームは政財界にも波及して、おしんは耐え忍ぶことの代名詞のようになっていた。
久しぶりに文京区の千駄木の渡辺正雄先生の家を訪ねた。話のついでにおしんの話をすると、「女房が見ているので、たまに見る」とニコニコしながら話し始めた。
「私たちの世代には大変心打たれる話なんだよ」
先生が生まれた大正5年は第一次世界大戦が終わろうとしていた。戦争景気で日本中は沸いていた。その一方で、シベリア出兵で米が買われ、深刻な米不足が起きた。怒った富山県魚津の主婦たちから始まった米騒動は全国に波及し、100万人規模の暴動に発展した。この年に京都大学の経済学者河上肇の「貧乏物語」が大阪朝日新聞に連載され話題となった。内容は産業を国有化し、雇用を促進し、所得の再分配を図るという社会主義的な経済政策が貧困を根絶する最適な方法であるという主張である。
明治から始まった資本主義が日本社会に持てる者を作り出す一方貧困を生み、社会に格差をつくっていた。この11年後に起こる昭和大恐慌は日本の経済に大きな打撃を与え、さらに庶民やこの貧困層を直撃した。生糸の米国への輸出が減少し、米価の下落が要因となった。こらを置き去りにしたまま満州事変が起き、日本は戦争の道を突き進んでいく。
渡辺先生はこうした中で、多感な青春期を過ごし、終戦を迎える。
「木村君、僕は戦争に加担したんだよ」
先生は大学で科学系の学部を卒業して三菱レイヨンに勤めた。そして戦闘機のフロントガラスの開発をした。そのことを言っているのだ。戦後40年近く経ってもそのことによる心のわだかまりは消えないようだ。
「戦争が終わって、残りの人生は日本の復興のために尽くそうと思ったんだ」
そして同じ時代、思いを同じくする人たちが敗戦の焦土から立ち上がった。そして幾多の辛酸をなめながら戦後の復興を成し遂げた。今では米国と肩を並べる経済大国になった。おしんを見る度に、自分たちの歩んで来た道と重なって見えるのだろう。
「ところが今になって中曽根さんが苦労している」
それは日本の先行きに陰りが見えてきたことだ。陰りを生んでいる一つが社会保障制度だという。
(ヘルスライフビジネス2018年11月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)