世の中は感染症から成人病の時代になった(115)
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「ほらこれを見なさい」と机の上のコピーのグラフを指さした。主要死因別に見た死亡率と書いてある。国の人口動態統計調査の戦前から現代まで、日本人がどんな病気で死んだかをグラフにしたものだ。
「私の生まれた頃は肺炎がピークになっているね」
先生が生まれたのは1918年だ。スペイン風邪が世界的な流行になった頃と重なる。罹った人の数は世界中で5億人と、とてつもない。しかも死んだ人の数は5000万人から1億人といわれる。日本でも4人に1人にあたる3200万人が罹って、64万人が死んだそうだ。これ以降も肺炎の死亡率は高いが、大半がインフルエンザや風邪の類の流行らしい。
「これと同じに恐れられたのが結核だった」
戦前には死の病として恐れられたという。1938年(昭和9年)の統計では13万人、罹ったている人は131万人もいた。これは全人口の2%に当たる数で、10世帯に1人の割合で罹った人がいたことになる。
「これ以外にも、しょっぱいものばかり食べていたから脳卒中は多かったが、その他は感染症ばかりだ」
ところが第2次世界大戦が終わると、死因となる病気が一変する。
「抗生物質が入って来たからだよ」
イギリスの細菌学者アレキサンダー・フレミングがブドウ球菌を培養するシャーレに混じっていたアオカビの周りのブドウ球菌が溶解しているのに気付いたのは1928年のことだった。これが抗生物質ペニシリンの発見だ。その後ストレプトマイシンが見つかり、戦後日本に入って来た。
私の母親は戦中戦後に大学病院で看護師をしていたが、進駐軍からもたらされたこの薬のすごい効き目について何度か話してくれたことがある。
「抗生物質の発見は医学の歴史で、画期的なことだった」と渡辺先生はいう。
それまでの人類の歴史は感染症との闘いだった。飢えてる時代は感染症が横行する。人類の歴史で満足に食えた時代はほとんどないとすれば、人々の暮らす背後にはいつも感染症の影が付きまとっていたことになる。ところが戦後これから解放された。
「薬もさることながら、食べ物が十分食べられるようになったことのほうが大きいかもしれない」
確かに昭和20年代後半に日本人はようやく飢えから解放された。栄養学者に聞くと1955年(昭和30年)頃の食事が栄養的には一番バランスが良いということである。ところが昭和30年代の前半にコカ・コーラ、即席ラーメンなど加工食品が次々に売り出された。高速道路が出来て流通が発達した。そしてどこの町にもスーパーマーケットが出来て、何時でも美味しいものが食べられる時代になった。豊かな時代になったのだ。
「こうなると、人は好きなもしか食べなくなる」
この結果が偏食であり肥満の横行である。そしてが脳梗塞、がん、心臓病などの生活習慣病の増加だった。なかでもがん、心臓病は戦後一貫して伸び続けている。脳血管疾患は1970年代に入って減ったが、以前の血管が切れるかたちの脳卒中型から、血管が詰まる脳梗塞型に変わってきている。感染症が治まり、こうした成人病(生活習慣病)が横行する時代になろうとは想像することさえ出来なかった。
「残念ながら、この成人病は薬では治せないんだよ」
感染症は菌を殺せば治るわけだが、食事などの長年の生活習慣の蓄積から起こる成人病は薬では治せない。
「ははァ。それで分かりました」と我ながら納得した。子供の頃からがんの新薬が出来ると“夢の抗がん剤”として新聞やテレビで良く紹介されていた。しかしこれで治ったという話はほとんど聞かない。
「それで“夢”なんですね」
(ヘルスライフビジネス2019年1月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)