百貨店の三越にも健康食品売り場があった(117)
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銀座4丁目交差点というところがある。「ああ、そこね」と東京の人間ならばすぐに思い浮かぶ。百貨店の銀座三越、時計、宝飾品など高級品の店和光本店、婦人服の三愛、車の日産ギャラリーという銀座のランドマークが集まる交差点で、今でも日本一地価の高い一角である。
この頃、全国どこの百貨店にも健康食品の売り場があった。この百貨店のなかでも三越は他の百貨店より頭一つ、二つ抜け出していて、高級なイメージがもたれていた。その象徴が包み紙だ。洋画家の猪熊弦一郎が手がけたもので、白地に赤。ぷわぷわと雲が浮いているようななんとも言えないデザインだ。その赤い雲の中に〝mitsukoshi〟と書いてある。これはアンパンマンで有名になる前のやなせたかしの文字だそうだ。
今ではそのイメージもだいぶ薄れてきているが、三越の包み紙に包まれているだけで送られた人は喜ぶ時代だった。
子供の頃を思い出す。当時、三軒茶屋に住んでいた。お歳暮やお中元にこの包み紙に包まれたものが届くと、母がその包み紙を丁寧に畳んで引き出しにしまっておくのを覚えている。
この百貨店を代表する三越の銀座店にも健康食品のコーナーがあった。百貨店で健康食品を売っているというだけで、どれだけイメージアップにつながったかも知れない。
ともかくこの頃、全国どこでも繁華街には百貨店のある時代だった。それで取材の合間に時間があると、近くの百貨店の健康食品の売り場に立ち寄った。こうした健康食品売り場はたいがい地下の食品入り場の端っこにあった。
売り場は小さく、店員が一人か二人で客の応対をしていた。昼やその前後、夕方以外は比較的客足が途絶える時間帯でもある。その時間に行くと、店員が手持ち無沙汰に立っている。社員なのかパートなのか分からないが、たいがいおばさんである。おばさんは話好きだ。顔を覚えてもらうと、向こうからどんどん話しかけてくる。
ただし初めての人は警戒される。それにはこう切り出すことにしていた。
「健康食品の業界紙の記者をしています木村といいます」と名刺を出す。たいがい受け取りながら、どうしたものかといった表情をする。
というのも取材なら広報を通さないと叱られる。そこですかさず、記事にするための取材ではないこと、仕事の合間に立ち寄っただけだと告げる。加えて「御社の社長を良く知っている」と告げる。するとたいがい表情が緩む。知っているというのは嘘ではない。だいたい全国の百貨店の健康食品の売り場は5社の問屋がテナントとして入っていった。この5社の社長は業界の会合や新年号のインタビューで年に何度も会っていた。
それで販売員のおばさんと立ち話を始める。最近、売れているもの、売れなくなったもの。
「それがねェ」と客が来ない限り、続く長話の中にもちょっとした情報が混じる。例えば、「先週からこの商品がすごく売れてるのよ」という。理由を聞くとテレビの番組で取り上げられたのだそうだ。
この頃、ブームになる商品はたいがいテレビや雑誌、新聞などで取り上げられて話題になった商品だった。
「ダイエットに良いという話だけど、本当に効くのかしらねェ」と問われても、こちらも知らない。さらに本も読んだけどそんなこと書いてなかったという。なんでもかんでもダイエットといえば売れた時代だった。おばさんたちは案外勉強家で、健康に興味がある人が多かった。客は中高年が主だったから、同年代の客の相談相手にもなり、頼りにされているようだった。
(ヘルスライフビジネス2019年2月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)