首から喉に付いた大きな猫の爪痕(122)
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「博士が大変ですよ!」と編集会議の席上で岩澤君がさも嬉しそうに言い出した。博士とは同僚の葛西博士のことだ。彼が博士号を持っているからこう呼んでいるのではない。これはあざな(字)である。
ただし実際には博士ではないが、なろうとした形跡はある。彼は千葉大の農学部の大学院まで行った。ただし結婚のために中退してこの仕事に就いたことは以前に書いた。
だからというわけでもないだろうが、彼はさも知ったかぶりを癖がある。確かに知識は人一倍ある。今や知っている人がどれだけいるかどうか知らないが、良く言うとNHKで昔やっていた人形劇「ひょっりひょうたん島」に登場する子供たちの中の“博士”といったところだ。半分揶揄して付いたあざなでもあるから、いささか“ドン・ガバチョ”も入っている。
だから「ちょっと、はかせ」、「おい、はかせ」といったように、我々の感覚では漢字ではなく平仮名が似合う。ただし、当の本人はこれが甚く気に入っているらしい。「はかせ」と呼ぶと、「博士」と呼ばれたように思っている節がある。そして何か聞くと、偉そうにご託宣を並べる。
問題はなんでも知ったかぶりをすることだ。真に受けると、しばしば当てが外れる。栄養学や農学系の話ならまだしも、専門外の話を真に受けようものら、間違っていることをしばしばだ。しかし彼がさも自信ありげに、または偉そうに話すのでつい信じてしまう。彼の受け売りを取材先で話して、「それ違いますよ」といわれて、恥をかいた記憶がある。
このように博士はいつも偉そうだが、頭が上がらない相手が一人だけいる。奥さんである。ある時、彼から言われて唖然とした。
「うちの女房は大したものなんだよ」という。どう大したものかは言わないが、とにかく自分の妻を尊敬しているのだそうだ。家庭では奥さんに毎日世話になっているので、感謝の意味でそう思うのだろうと一人身の私は思った。しかし次の一言で唖然とした。
「君もうちの女房に会えば尊敬するよ」
いくら何でも、お前の女房なんて誰が尊敬するかい。アホウちゃうか。しまいに怒こるでェと、とにかく呆れた。
岩澤君の話に戻る。とにかくその博士が大変だという。何が大変なんだと聞くと、「猫ですよ、猫」という。なんで猫が大変なのか分からない。飼い猫が暴れて、手でも噛まれたかとうと、編集長もニコニコして、「猫が噛んだのではなくって齧ったんだ。しかも彼の家の猫はだいぶ大きい」という。どうも禅問答のようでよく分からない。私がキョトンとしていると、博士に聞いてみなよという。この日、当の本人は取材が入っていると会議には出ていなかった。
翌日、昼に会社の近くの居酒屋に食事に行くとカウンター席に葛西博士がいた。隣に座ると、首から顎にかけて、爪でひっかいたような3本の跡が見えた。ははァ例の猫はこれだなと思ったが、知らない振りをして、「どうしたのその首の傷」と聞いてみた。彼はその傷を手で触って、「いやア、猫に引っ掻かれたんだよ」という。猫にしてはずいぶん指の間隔が空いている。しかも爪が意外に尖っていない。
「ずいぶん大きな猫だね」というと、「そうかなァ」と傷を撫ぜている。
彼が帰った後、店長が「夫婦喧嘩は犬も食わないって言いますから、放っておいた方がいですよ」という。やはりみんな思うところは同じである。
しかしこの三本の傷跡から我々は葛西博士の意外な私生活を垣間見ることになる。
(ヘルスライフビジネス2019年5月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)