引っ掻いたのは、「女よね、女」(123)
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会社帰りに飲みに行った。もちろん1人ではない。編集部の宇賀神さんとその年に入社した経理の平野さんの2人の女性が一緒だった。
宇賀神さんは以前にこの連載に登場したことある。2年前に事務員として採用された。仕事はテキパキとこなすが、おしゃべりで、とにかくやかましい。彼女は勤め始めた当初から待遇面が不満なようで、文句ばかり言っている。不満は記者として応募したのに、どういうわけか事務で採用されたことで、それが癪に障るようだ。
人の手配は園田社長にお願いしていたので、我々には分からない。確かに新聞の編集部では事務をやる人を要求した。それで宇賀神さんが採用されたと思っていた。ところが、その頃湯島にある雑誌の方でも編集者が必要だった。
それで同時に人を募集したことから、この間違いが起こったようだ。川原田さんは専門紙の記者だったが不況でクビになった。だからキャリアを生かして編集に応募した。ところが採用されてみると事務職だった。辞めようと思ったが30歳過ぎての女の再就職は難しい。
結局、文句を言いながら勤めを続けた。そうしているうちにさすがの園田社長も根負けしたのか、記者にすると言い出した。粘り勝ちだ。
もう一人の平野さんは経理で入って来た。この人も仕事は出来る。ただし、以前していた学童保育の先生の癖が抜けきれない。それで我々を子供のように扱うことがある。
「木村君、遅刻してはだめでちゅよ~」「ゴミ、ちゃんと片づけましょ~ね」といわれると、「ハイ!先生~」と思わず返事をしてしまいそうになる。
「男はああいうの嫌いじゃないよなァ」と葛西博士にいうと、「木村君はマザコンじゃないの?」という。確かにそうかもしれないが、恐妻家の博士に言われると癪に障る。
とにかくこの二人の年齢は同じで、私より2つ上だった。つまりお姉さまというわけだが、共に社内の情報通だった。宇賀神さんは“女性週刊誌の記者”といわれるだけあって噂話に耳聡い。平野さんは仕事柄で社内に居るので、大概のことは知っていた。
ビールで乾杯すると、夏休みの話になった。宇賀神さんはだいぶ年上の男と付き合っているようだった。その男と休みが合わずに、1人でお盆に栃木の実家に帰るといって、ビールの残りをグイッと飲み干した。平野さんは女友達と何処だかに旅行に行くそうだ。
「あんたはどうすんのよ」と宇賀神さん。思わず軽井沢と言ってしまって後悔した。すると、さっそく始まった。なぜ軽井沢に行くの、彼女と行くの、どこに泊まるの、男の友達とはどんな人、その友達と何しに行くの、知っているレストランがあるが紹介してやろうかと。本当に大きなお世話である。
それで「テニスですよ」と嘘をついた。この頃、多少はテニスをやっていた。小川町のスポーツショップでラケットを買ったのを会社の人たちは知っていた。それで納得したようだが、実は軽井沢銀座に高校の教師をしている友人と、“お姉ちゃん”を探しに行くのだ。ただそんなことをここで言ったら、遊び人の烙印でも押されかねない。
「それにしても、揃いも揃って浮いた話の一つもないなんて、最悪よね」とため息をつく。
そこで話題を変えた。例の葛西博士の顔の顔の傷である。するとこの二人の女史の喰いつきはさすがだった。
「奥さんが引っ掻いたに決まっているでしょう」と宇賀神さんはいう。そして目をキラリと輝かせて、「女よね、女」と不敵な笑みを浮かべた。だってあれだけ奥さん一途な博士に女性問題などあるわけがないというと、だから男は甘いのよという。これは女の直観だという。なんだか恐ろしいほどの凄みがある。すると聞いていた平野さんが、「実はねえ」と口を開いた。
(ヘルスライフビジネス2019年5月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)