世の中はバブルの走りで浮かれ気味(129)
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久しぶりに加藤さんに会った。朝晩はめっきり寒くなった。もう年の瀬だ。新宿南口のいつもの居酒屋「いすず」である。やかんからガラスコップに注がれたお酒から湯気が立っている。一口飲むと、「燗付き過ぎだよ」と文句をいう。相変わらず酒にはうるさい人だ。
「ところで、ついに捕まったねェ」と加藤さんは話題を変えた。昨日のニュースの話題でおじさんたちは持ちきりだ。1983年12月8日木曜日。愛人バンク「夕ぐれ族」で名をはせた女社長の筒見待子と関係者が売春防止法違反で捕まった。加藤さんに会ったのはその翌日だった。
「やっぱり売春だよね」
「夕ぐれ族」とは変わった名前だった。芥川賞作家の吉行淳之介の小説「夕暮れまで」が由来らしい。伊丹十三が演ずる中年男と若い愛人の桃井かおりのカップルで映画化されヒットした。とにかく、この頃この愛人バンクの代表の女は度々テレビの人気番組に登場して、有名人になっていた。当時の女子大生ブームもあって、愛人願望の若い女性と金回りの良い中年のおじさんとの仲を取り持つこの愛人バンクとやらは単なる“紹介”なのか、売春の斡旋なのかが話題になっていた。
「ところで業界の人でも女子大生を愛人にしている人いますよねェ」と水を向けると、「知ってる⁈」と加藤さん。あれだけ大胆にやれば、公然の秘密もいいところだろう。7月に行った米国ツアーを思い出す。業界の展示会がラスベガスで開かれ、それを見に行ったのだ。主催は我々だ。
空港に着くと、JTBが手配したバスが迎えに来ていた。席について出発を待っていると、後から予想外の人が乗り込んできた。入口近くに陣取った添乗員の小沢さんと何かもめている。「乗っけてよ」といった声が聞こえた。サングラスはかけて分かりづらいが、聞き覚えのある声だった。社長の名誉のため名前は伏せておくが、その社長の後ろに二十歳くらいの女の子の姿があった。ツアー参加者のためにチャーターしたバスだからダメだといっても言うことを聞かない。確かに知り合いだし、たまに広告を出しくれるからスポンサーでもある。結局こちらが折れて、バスはホテルに向けて出発した。
我々には英語が出来るアルバイトの秘書だと言っていた。しかし誰も信じる者はいない。後で聞いたが、その女の子は女子大生で今風に言えば社長の援助交際相手である。社長にも呆れたが、最近の若い女性には呆れた。本人は平気な顔をしている。フラミンゴヒルトンに着くと同じホテルらしく、2人でチェックインのため先にフロントに向かった。ところが翌日の夕方、社長が展示会の視察を終えてホテルに帰ると、一足先に帰ったはずの彼女も荷物も消え失せていたそうだ。
「困ったもんだよねェ」
そう、本当に困ったもんだ。しかも加藤さんが事務局次長を務める協会の幹部でもある。それをいうと眉毛を八の字にして、「お恥ずかしいかぎりだよ」という。日本がバブル経済に入るのはまだ少し後だが、世の中はすでに浮かれていた。
そしてもう一人、浮かれた男が目の前にいる。加藤さんである。ほろ酔い加減のその男は40歳にしてジャーナリストになろうという。正確にいうとジャーナリストになる塾に入るらしい。
「奥さんが良く許してくれましたね」というと、許すも許さぬもない。男が一度決めたことなんだからと、よく分からないことをいう。加藤家は共稼ぎだ。しかし奥さんは銀行勤めで稼ぎがだいぶ良いらしい。だから加藤さんの収入なんぞ期待していないのだろう。
収入はなくなるが、住み込みだし食事も出でるという。主催者はフィリピンの大統領候補のベニグノ・アキノ氏の暗殺に関わる報道で脚光を浴びていたジャーナリストの若宮清氏で、塾の名は「国際浪人塾」だそうだ。なんだか怪しげだが、若手のジャーナリストを育成するのが目的らしい。スポンサーは名古屋の予備校の経営者だそうだ。予備校のバブルはまだ続いていた。
(ヘルスライフビジネス2019年8月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)