花の銀座で”ただ酒”にあり付く(133)

2025年3月18日

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印刷屋のある旧黒門町から上野の不忍池は繁華街を挟んで目と鼻の先である。よく昼飯の後腹ごなしに池の周りを散歩した。その日も岩澤君と散歩していると、池の周りの柳が黄緑色に色づきはじめている。

「もう少しでお花見ですね」と向こう岸の背後にある上野の山の方を見ながら岩澤君が言った。確かにあと10日もすれば開花宣言が出そうだ。

「校正が終わったら、お花見の前哨戦に御徒町辺りで一杯やりませんか」という。岩澤君とは馬が合った。顔を合わせると酒を飲んでいた。

「今日はだめなんだよ」というと、がっかりしたような顔をした。先約があった。以前紹介した銀座の画廊で顔の友人の塚原君と新宿で会う約束をしていた。

昨年の秋に初めて彼のいう〝ただ酒〟に付き合った。画廊のオープニングパーティでご馳走になろうということだ。銀座の画廊の多くは1週間単位で貸している。月曜日から日曜日まで、自称も含めて芸術家の作品が展示される。自腹で画廊を借りて、満を持して花の銀座で自分の作品を世に問うのだ。

たいがい初日は月曜日で、その夕方に主催者が友人や関係者を集めてバーティをすることが習わしになっている。そこに紛れ込めば飲み食いはただ。芸術家の卵のお姉ちゃんもいる。そんなわけで、何回か彼に付き合った。どこの会場でも彼の知り合いがいた。「銀座では顔」というのはまんざらでもない。酔った勢いで展示品について質問すると、たいがいの場合、ずいぶん丁寧に答えてくれる。芸術家は意外に良い人が多いようだ。

あるパーティで自由美術協会の多賀さんという画家の先生と知り合いになった。塚原君は顔見知りで、協会では幹部らしい。飯田橋の日仏学院で先生をしているとも聞いたから、フランス語でも教えているのだろう。

この人、年の頃は60歳くらいのおじいちゃんだったが、風貌が変わっている。髪は天然パーマのもじゃもじゃ。背は小さく痩せぎすで、丸い眼鏡をかけている。ジャケットを着ているものの、それもよれよれで、膝が抜けたようなズボンをはいている。ついでにいうと前歯も1本抜けている。芸術家といえばそう見なくもないが、どうみてもうだつが上がらない。

恐妻家で、財布は奥さんががっちり握っていてる。それで本人はいつもお金がない。だからこの先生の目的も我々と同じで、〝ただ酒〟のようだ。なんだか演歌のタイトルのようだが、とにかく蛇の道は蛇である。自然に心が通じ合う。

何度か会ううちに二次会に誘われた。我々の仲間の女の子が一緒だったからもしれない。彼女は山﨑ミミといった。まだ高校生だが、お母さんがノンフィクション作家で『サンダカン八番娼館』の著者で知られていた山﨑朋子だった。母親譲りの美人で、年の割にはちょっとませていた。芸術の世界に興味があるようで、我々が立ちまわるところで、よく出会うよう。余程安全な〝おじさん〟だと思われたのか、何かと我々にくっついてくる。

彼女の名誉のためにいっておくが、高校生の彼女はお酒を飲まない。

「だけどもこんな時間まで夜遊びして、ミミちゃんは不良だねェ」とからかうと、「ミミは不良じゃあない!」と意地になって言い張る。

彼女がいたからかどうか分からないが、多賀さんが奢ってくれるという。しかし銀座にもこんなぼろい安飲み屋あるのかと呆れたが、そこでご馳走になった。しかし塚原君にも言わせると、多賀さんに奢ってもらったとなると、銀座界隈の芸術家の間ではちょっとした事件だそうだ。それでもそれ以降、何度かご馳走になった。

(ヘルスライフビジネス2019年10月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第134回は3月25日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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