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上田さんの手には本のゲラが握られていた (134)
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ある日画廊のオープニングが新宿であると塚原君から連絡があった。場所は新宿の紀伊国屋書店の画廊である。トマトジュースのコマーシャルやテレビ出演で文化人として知られていた田辺茂一が社長を務めていた書店として知られていた。3年程前に他界していたが、新宿通りに面した一等地の紀伊国屋ビルの上の階には劇場や画廊もあって、独特な雰囲気を醸し出していた。
個展の会場に行くと、すでにオープニングパーティが始まっていた。しかし銀座の貸し画廊と違って、紀国屋画廊はどうもグレードが高いのか、“タダ酒派”にはどうもしっくり来ない。その上、主催者の絵を一通り見たが、あまり面白くなかった。今では全く印象に残っていないが、パーティのお酒が少ししか出なかったし、つまみも大したことはなかったことは覚えている。かなりがっかりだった。だからといって文句を言うわけにもいかない。
こうしたときは河岸を変えるにしかずだ。知り合いと話をしていた塚原君を急かせて、早々と会場を後にした。
外に出ると、ビルの谷間に月が出ていた。後ろを振り返ると、先ほど会場にいた塚原君の知り合いの一団も出てきた。それで「一緒に飲みに行こう」ということになった。歩き出すとその中に2人くらいの女性がいることが分かった。不思議なことにそのなかの一人の顔は光がさしているように見えた。
誰かが寄席の新宿末広亭の近くに、安くて美味いつまみのある飲み屋を知っているという。こちらは当てがあるわけではないので、その話に乗ることにした。店の席に着くとその女性が隣に座った。名前は原田真弓といった。何を話したか良くは覚えていないが、油絵を習っているような話で、ほかの人もその仲間だと言っていたようだった。ともかくなんだか話が合った。しかしその時は後にその人と結婚することになるとは思ってもみなかった。しかし考えてみると、後光がさしているように見えたのは、そのせいだったかもしれない。
翌週には我々の第3回目の健康食品の展示会が晴海で開かれた。新館の2階を使って規模も大きくした。儲かった分を還元するつもりか、オープニングパーティを御茶ノ水のホテル聚楽で盛大に行った。
入口を入ると、ロビーの左に何脚もの椅子が置かれていた。その一つに、羽織袴姿の人が入口に背を向けて座っている。上田寛平さんだった。数か月ぶりだが後ろ姿でもすぐに分かった。こちらの都合で本の出版を取り止め、逆鱗に触れてからというもの上田さんと会いそうな場所は意図的に避けて来た。合わせる顔がないといと思っていたからだ。なんといっても本の中身は上田さんが長年勉強してきたことの集大成である。一度、出版するとその気持ちに火をつけてしまったのに、梯子を外したのだ。
ただし出版は渡辺先生と加藤さんが東洋医学舎の長谷川社長と話を付けてくれた。それで渡辺先生から上田さんのご機嫌は治ったよと聞いていた。加藤さんからも「もう平気だよ」といわれてもいた。しかし此方としては会い辛かった。
上田さんと分かって、知らぬ顔で通り過ぎるわけにも行かない。目の前にはその本人が座っているのだ。腹を座えた。思い切って「こんにちは」といって近づくと、此方を見た顔は以前のように優しい笑みを浮かべている。ちょっとホットしたが、上田さんが持っているものを見て合点が行った。持っていたのは本のゲラのようだった。
「夏前には出るんだよ」といって嬉しそうな顔をした。
「よかったですねェ」というと、にこやかに頷いた。
パーティ会場には200名ほどの人が詰めかけていた。その中には渡辺先生もいた。挨拶すると上田さんに会ったかと聞く。「嬉しそうだった」というと、「そうか、良かったねェ。加藤君の尽力だよ」といった。
(ヘルスライフビジネス2019年11月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)