健康食品を抹殺する策動が始まる(136)

2025年4月8日

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話は続く。救急車は医科歯科大学を左折し、本郷通りをひた走り、東大の農学部の先を左折、不忍通りの方向へ下り掛かった途中の建物に入った。千駄木の日本医大病院だった。

後ろのドアが開くと、医師や看護師が待ち構えていた。車外に出ると、続いて担架が下ろされた。

「ご親族ですか」と医師が私に尋ねた。「いや…仕事関係の…」というと言い淀んでいると、「すぐに連絡をとって下さい」という。親族、親族と頭の中で繰り返したが、思う当たらない。奥さんはとうに亡くなっている。子供もいないと聞いた。

しかし上田さんには兄弟はいるかもしれない。上田さんにいなくとも、亡くなった奥さんには親族がいるはずだ。しかし本の編集で数か月の間だけ早稲田の自宅に通っただけの私に上田さんの親族を知る由もない。困り果ててたが、とにかくまず会社に居場所を知らせなければと思い電話した。

「大変だったんだってねえ」と呑気なものだ。電話に出た経理の平野さんはすでに上田さんの件は知っていた。ただし私が何処にいるのか知らないようだ。

「今、病院にいるんだよ」というと、「え!付いて行ったの!?」と驚いている。手短に事情を説明して、千駄木の日本医大病院にいることを告げて切った。

そうこうするうちに上田さんが顧問を務めていた会社の社長に聞けば分かるかもしれないと思った。永福町にあった会社を知っていた。女社長の菊池さんに連絡すると、幸いなことに親族を知っていた。都内に弟さんがいるという。

「安心して。すぐに連絡するから」といわれ、ようやくホッとした。すぐに駆け付けるといって、菊池さんは電話を切った。

病院の事務の方に親族に連絡が付くことを告げると、疲労感を感じて、受付の椅子に座り込んだ。とにかく慌ただしかった。時計を見ると、ホテル聚楽で事件が起きてから、すでに40分経っていた。

放心状態で座っていると、入口の自動ドアが開いて、渡辺先生が小走りに入ってきた。

「木村君!どうなった」

上田さんはおそらく亡くなったこと、菊池さんに連絡をとって、親族への連絡を託したことなどを告げた。

「ようやった!」と珍しく褒められた。

この後、ことあるごとにこの時のことを褒められた。1、2回ならまだしも、何度も言われるとこそばゆい思がしたことを思い出す。

「君は仕事がある。後は僕に任せて、帰りなさい」という。

それで玄関の方に歩き出すと、菊池さんともう一人男性の方が入って来た。顔が似ているような気がしたので弟さんかもしれないと思ったが、会釈しただけで病院の外に出た。

思った通り、上田さんは病院で死亡が確認された。展示会も終わった4月のはじめ、井の頭線の井之頭公園駅近くの三鷹教会で葬儀が行われた。静かな暖かい日だった。驚いたのは上田さんがクリスチャンだったことだ。葬儀の中身は思い出せないが、駅近くの桜が散り始めていたことは覚えている。

そして7月10日には本人が待望していた本が『食の原点と関連法規』という書名で出版された。上田観平、渡辺正雄に加えて、編集に携わった加藤さんの3名の共著というかたちになっていた。この本の序に次のようなことが書いてある。

「食物の栄養効果によって健康が維持されるだけでなく、それによって健康の増進はもちろんのこと、疾病の予防・治療がはかられるという知見を認めることは、今や世界的な趨勢であるといってよい。しかるにわが国では、食品について、疾病の治療はいずもがな、その予防、あるいは健康の増進すら謳うことができないのが現状である」

そしてその元凶が薬事法だとしている。ところがその薬事法で健康食品を亡き者にしようという策動が始っていることをこの時はまだ気付かなかった。


(ヘルスライフビジネス2019年9月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第137回は4月15日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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