GNCの成功はアメリカンドリームだ!(43)
バックナンバーはこちら
ニューヨークの宿泊先はタイムズスクエアの近くにあったシェラトンセンターというホテルだった。タイムズスクエアという名称は私も知っていた。毎年新年のカウントダウンが行われる場所で、ミュージカルのメッカでもある繁華街だ。ブロードウエイは碁盤の目のように区切られたニューヨークの街を唯一斜めに通る道路で、それと7番街と42丁目のわずかな敷地に「ニューヨークタイムズ」の本社があった。名称はそれで生まれた。東京には「朝日新聞通り」も「毎日新聞街」もない。さすがマスコミの国だ。
ホテルで一休みすると、午後は専門店の見学ということになっていた。時差と寝不足で頭は朦朧としていたが、早くニューヨークの街に出たいという意識が勝っていた。一行は小型のバスに乗って本場のビタミンショップの見学に出かけた。現地のガイドの案内で夕方までにいくつかの店を見たが、最後はゼネラルニュートリションセンター(GNC)という店に行った。バスの中でコーディネーターの富田さんが解説した。外の風景に目を奪われながらも、その話に耳を傾けた。
GNCの創業は古い。1935年にデイビッド・シャカリアン青年がペンシルバニア州ピッツバーグで始めたヘルスフードストアに遡る。1920年代にはすでにヘルスフードストアの走りが登場している。おそらくこれは当時の流行に乗って始めた店の一つだったのかもしれない。この頃の店で販売されていた製品は、今のサプリメントのようなものではないようだ。“スペシャリティフード”と呼ばれる特産品や名産品からオーガニックやホールフードのような食品が大半で、今のサプリメントに近いのはハーブの製品くらいだった。
1930年代の米国はスタインベックの小説「怒りの葡萄」の世界だった。大恐慌の嵐が吹き荒れ、ル-ズベルト大統領のニューディール政策によって、ようやく光が見え始めた頃だ。シャカリアン青年の開いた店の初日の売り上げは35ドルだった。幸運にも、それから半年で2店目の出店に漕ぎつけた。チェーンの始まりである。そしてわずか半世紀足らずで1000店近い巨大チェ-ンとなった。「まさにアメリカンドリームだ」と富田さんはいう。
この時期ヘルスフードショップも全米に1万店近くに広がっていた。ところが西海岸と東海岸では店の作りや品ぞろえはまるで違うようだ。西海岸はオーガニックの野菜などナチュラルフーズが中心の大型店が多く、東海岸ではGNCに代表される小型の店で、ビタミンなどのサプリメントを中心にしたバイタミンショップが多いという。
バスはブロードウエイを34丁目まで下り、メーシーズという百貨店の反対側の路肩に止まった。目の前に大きく赤い字でGNCと書かれたお店があった。
「さあ着きましたよ」との声でバスを降りると、コーディネーターの富田さんと現地の旅行者のガイドが店に入って行く。しばらくする店の入り口で手招きをした。店長の許可が下りたようだ。中に入ると最近流行っているコンビニの大型店ほどのスペースはある。棚が整然と並んでいる。驚いたことにビタミンだけでも壁一面を占めている。ビタミンCだけでもいくつもの製品がある。
「なんでこんなにあるんですかねェ」というと、自分に合ったものをチョイスするのだそうだ。それで品ぞろえは1000品目を超える。ガイドによると、ニューヨーカー達の間では日常会話で健康やサプリメントの話題が交わされるそうだ。米国人は自分の健康は自分で守るという習慣がついている。
「病気になると医療費が高いですからね」