強盗には笑顔で「サンキュー」はマンハッタンの嗜み(45)

2023年7月11日

朝食の終わった机の上にマンハッタンの地図が広げられた。

「これを4等分して、それぞれの地域を半日かけて歩いてみよう」と富田さんが提案した。マンハッタンのこの地域にビタミンショップが何軒あるかを調べることが目的だが、これから度々来ることになるだろうから、街に慣れておくという意味もあるようだ。ありがたい提案には違いないが、米国旅行の初心者にとっては甚だ迷惑な話でもある。

「止めましょうよ。何かあったらどうするんですか」部屋に引き上げる廊下で、編集長に直訴した。

「木村君は意気地がないなァ」と言われた。葛西博士は「面白そうじゃないか」と平然としている。知らないからだろう、のんきなことを言いている。ちょっと前に70才を過ぎて初めてニューヨークに行った作家の植草甚一が路上で強盗に襲われた話を聞いたが、何はともあれ頻繁に強盗に会うという話は日本でも知られていた。

確かにこの時期のニューヨークは犯罪が多発していた。1960年代の米国では人口10万人当たりに占める殺人事件の発生件数は5人だったが、この頃にはその倍になっていた。ところが、ニューヨークは全国平均の2.5倍で断トツの1位だった。この数字が物語るように、この時期のマンハッタンは米国一危険な都市でもあった。さらにこれ以外の犯罪、つまり暴行、レイプ、強盗などは80年代前半から90年代前半が最も多かった。なぜ過去形かというと、90年代の後半にはこの犯罪都市という不名誉な記録を返上するまでに安全な街になった。理由はジュリアーノ市長と市警の手腕だといわれている。ちなみに殺人に使われた凶器の7割が銃だといわれる。ニューヨークは華やかな国際都市だが、その一方で銃弾飛び交う犯罪都市だった。

このニューヨークの街を半日一人で歩けという。しかも日本から初めて米国の地を踏んだばかりのまるで田舎者である。血に飢えたオオカミの群れの中に羊を一匹で放つようなものだ。とにかく決まったことなので仕方がない。こちとら江戸っ子だ!矢でも鉄砲でも持って来い!とばかりに、開き直ることにした。

我々以外の一行は、市内見学という名目でマンハッタンの名所見物に出かけて行った。それを見送ると、「さあ、我々も行きますか」と富田さんが地図のコピ-を配った。そこにはそれぞれが回るエリアが地図に赤い線で引かれていた。後でニューヨークのことが分かるとそんなに危険な場所ではなかった。歩いたのはミッドタウンと呼ばれているマンハッタンの中心街で、人通りもあってにぎやかな場所だった。

ただし戦場に赴く覚悟の我々に、富田さんが訓示を垂れた。

「道を歩くときは—」

歩道を歩くときは車道に近いところを歩くと、車に引っ張り込まれる、建物に近いところを歩くと、建物に引っ張り込まれる。工事現場の近くには近寄るな。

「工事現場に引っ張り込まれる」と私。

「そう、そう、そうゆうことだよね~ェ」と東北弁訛りで富田さん。

さらに肩から下げている鞄はわきの下に挟むようにする。なんだかやたらに窮屈になってきた。

来る前に友人が話してくれた。マンハッタンを歩くときは財布に大金を持たないこと。ズボンのポケットに10ドルから20ドル程度を入れておくのがちょうどいい。大金だと後で警察沙汰になる可能性があるため、命を取られることもある。少なすぎても、怒って暴力を振るわれる。

お金を要求されたら、ポケットに決して手を入れてはならない。銃を持っていると思われ撃たれる。お金の入っているポケットを指差すのだそうだ。そしてあくまでもにこやかに、明るく、まるで友人に言うように「サンキュー」というのだそうだ。ホテルのボーイにチップをあげたと思えば良いのだそうだ。

(ヘルスライフビジネス2016年2月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第46回は7月18日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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