夜総会から連れ出せる(88)
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「夜総会ってなんですかね」
ホテルのベッドに寝ころびながら、ガイドブックを開いていた岩澤君が呟いた。夜の会合なんて、なんとなく怪しげな感じがする。「どれどれ」といって彼の脇に行って、本をのぞき込んだ。どうも女の人のいる飲み屋のようなことが書いてある。ナイトクラブのことかもしれない。価格はピンからキリまであるようだが、台湾最後の夜だ。
多少の散財なら罰は当たるまいと思いながら解説を読み進んでいくと、「連れ出せる」と書いてある。もちろん夜総会の女の人のことだ。「エッ! 連れ出せるだって!」「本当ですか!」
前の晩に公娼街のピンクのライトに照らし出された薄着の女の人を見たばっかりに、二人の妄想は無限大に広がった。なんたって連れ出せるのだ。「行きますよね、夜総会」と岩澤君。「当然だよ」と私。
しかしまずは腹ごしらえで食事に行くことにした。地図を見ると、華西街は案外近かった。
夜総会の場所を地図でチェックして廊下に出ると、例の客室係が近くの部屋から出てきたのに出くわした。「出ェかけちゃうの!」と情けない声を出した。最後の夜なので商売になると当て込んでいたのだろう。その声を背にして勇躍、台北の夜の街に飛び出した。
早々に食事を済ませて夜総会を探した。ところがガイドブックが古くて、地図のところに見当たらない。あったとしても、なんだか高そうで敷居が高い。
そうしているうちに疲れてきた。しかも暗がりで客引きのような怪しげな男に捕まった。私は通リ過ぎようとしたが、岩澤君が捕まった。男は日本語がほとんどしゃべれない。それでも岩澤君の夜総会への執念はすごかった。客引きの男に必死で、「夜総会、何処」を繰り返す。男は何だか分からない。それで日本語で、「女いる! 女いる!」を連発する。なんだか、その場にいるのが気恥ずかしくなった。
歩き始めると、男もしぶとく付きまとってくる。しかも時々追い打ちをかけるように「女いる」という。
だいぶ長い間歩いたと思ったらホテルの前に来ていた。さすがにあきらめたのか、男は帰って行った。あきらめて入り口を入って驚いた。「夜総会」の看板がかかっているではないか。
「やっぱり青い鳥は近くにいるんですね」と岩澤君。早速、ホテルの中2階にある夜総会に行くことにした。
店に入ってみると、何のことはない。日本の場末の安クラブとたいした違いはない。それぞれの客に女性が付いて、ウイスキーの水割りで乾杯し、後はカラオケである。
問題は我々のところに来た女性たちが日本語を話せないことだ。そこで紙に漢字を書いてコミュニケーションを図ることにした。これではなかなか酔えない。それでも次第に打ち解けて、一通り酔いが回るころには仲良くなった。
私の隣の子は目がくりくりした可愛い顔立ちだが、岩澤君の隣の子は典型的な中国系で、賢そうだが地味な顔立ちだった。岩澤君はやっかみもあって、私の方の女性を指して、「きっとベトナム難民ですよ」という。そう言われてみると、南方系の顔のようにも見える。
1975年にベトナム戦争が終わった。その後、社会主義になったベトナムを嫌って、多くのベトナム人が船で逃げ出す"ボートピープル"が問題になっていた。主に香港やマカオなどに船が漂着して、米国、オーストラリア、フランスなどに難民として移住した。日本も珍しく1万人を超えるベトナム難民を受け入れている。この時期、台湾がどうだったかは知らないが、彼女がどうかは知らないが、まんざらない話でもない。しかしそんなことはどうでもいい。とにかくこちらは楽しければ良いのだ。
試しに外で食事しようと誘った。するとOKだとうなずく。すぐに準備して来るという。
「岩澤君、連れ出しOKだよ」というと、嬉しそうに頷く。
タクシーに乗ると行き先は彼女たちに任せた。しばらくすると繁華街の交差点で降り、明かりを赤々と灯した屋台に入った。目の前に大きなおでん鍋のようなものがあり、あまり見たこともないものがぐずぐずと煮えている。驚いたことに彼女たちはお刺身を注文した。出てきた皿の端に大きなワサビの塊が乗っていた。これをハシですくい取ると、醤油皿の中にたんまり入れた。ビールで乾杯したがこの刺身に手を付ける気がしなかった。
飲みながら交差点の行き交う車の流れに目をやった。時計は11時を回っていた。車はさておきオートバイが結構多い。しかもご主人らしき男性が運転して、後部座席に奥さんを乗せ、奥さんが子供をおぶり、ご主人も前に子供を抱え乗っている。なかには家族5人で乗っている姿も見かけた。
「一所懸命に生きているんだなァ」というと、よく聞こえなかったのか「なんですか」と岩澤君が耳に手を当てた。
(ヘルスライフビジネス2017年12月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)