私たちの台湾での最後の仕事は運び屋(89)
バックナンバーはこちら
台北を立つ日になった。
午後の便で東京に向かうので、昼までに空港に行く必要がある。早めの朝食を済ませると、散歩に出た。
市内の路上には朝食を売る屋台が所々に出ている。
屋台の脇の机には多くの人が陣取って、何かしゃべりながら食べ物を口に運んでいる。台湾の人の会話はなんだかかん高くて、喧嘩をしているように聞こえる。
道を行くと、お婆さんがお饅頭らしきものを売っていた。直径3㎝くらいはあろうか、日本の温泉饅頭くらいの大きさだ。ただし色は白くて、なんだか美味しそうに見える。
片手を広げて出すと、うなずいてビニールの袋にその饅頭を5個入れてくれた。ホテルに帰って、食べることにした。最初の1個を口に含むと驚いた。おつゆが一気にあふれ出したのだ。小豆の甘いアンコを想像していただけに慌てた。溢れたおつゆはまだ熱く、顔から私のシャツに広がった。
「なんだ、これ!」初めての食べ物だった。
そこにちょうど客室係の楊さんが入ってきた。私たちの様子を見て笑い出した。タオルをもらって拭いていると、教えてくれた。この饅頭は小籠包というそうだ。豚肉とスープを小麦の皮で包んで蒸した小型の饅頭で、なんでも上海名物だという。つまり小さめの肉まんのスープ入りといったところだ。もちろん楊さんは台湾の方が美味しいと付け加えることは忘れない。
「今日、東京へ帰るの日か」と聞くので、あと2時間もすれば空港に行くと告げた。
「いい子いたヨ。残念、残念」とため息をつく。よほど商売にならなかったことが残念でならないのだろう。「後で来る」といって部屋を出て行ったが、しばらくするとパンフレットを持ってやってきた。さすがに商魂たくましい。
「これお土産ね」パンフレットの中にはお決まりのお土産が並んでいたが、ウーロン茶とカラスミを買ってやることにした。台湾のウーロン茶は「凍頂ウーロン茶」といって、中国にない独特の風味がある。楊さんが何度も持ってくるお茶でその味を覚えた。なかなか商売がうまい。
しっかり商売をして、客室係の楊さんは「また来てねェ」といって帰っていた。
ところが私たちにはまだ仕事があった。お金を日本に持ち帰る仕事だ。
台湾のクロレラ企業は我々の新聞に広告を出していた。しかしこの頃、日本への送金は出来なかった。というのも台湾ドルは日本では円に換えることができない。米ドルなどの外貨の持ち出しも禁止されていた。
それで集金は直接台湾に赴いて、米ドルでもらってこなければならない。ホテルのセーフティボックスには集金したドル紙幣が預けてあった。
もらい受け「なんかゴワゴワしますね」と岩澤君は鏡に映してみている。「捕まったら刑務所ですかねェ」と不安そうだ。私も初めてなのでなんとも言えないが、編集長は没収されるだけだといっていた。
「捕まったことあるんですかねェ、編集長は・・・」そういわれると、なんだか不安になって来た。
中正国際空港には昼に到着した。相変わらず混雑している。昼食を済ませて出国審査の場所まで来て、トイレに行きたくなった。「緊張してるのかなあ」というと、岩澤君も「僕もです」という。
こういう時に限って混雑している。なかなか順番が回ってこない。「もれそうか」というと、首を縦に振る。それでも審査までなんとか我慢することが出来た。搭乗券とパスポートを出すと、疑う様子もなく、すんなり通してくれた。後から続く岩澤君も無事で、私たちの台湾の最後の仕事は終わった。
(ヘルスライフビジネス2017年12月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)