薬事法規制の解説書を出すことに(105)
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地下鉄東西線の早稲田の駅に降り、地上に出ると目の前は早稲田通りだ。その通りを神楽坂方面にゆるい坂道をやや上がって、路地を入った奥に古い都営住宅があった。初夏の日差の眩い中、白髪の老人がステテコ姿で、地面から軒にかけて伸びたつるの葉っぱを摘み取っている。
「上田先生ですか」と声をかけると、老人が振り返った。
「おお、木村君か、待っとったよ」と傍らにあった緑の葉が山盛りになったザルを抱えて立ち上がった。家は平屋で中に入ると6畳4畳半の2間と台所でこじんまりとしていた。
薄っぺらな座布団に座ると、ズボンに履き替えた上田さんが、冷えた麦茶を出してくれた。
「だいぶ暑くなってきたな」と首からつるした手ぬぐいで顔を拭いた。ザルの葉っぱはつる紫という東南アジア原産の野菜で、春から栽培しているのだそうだ。
「青汁にして飲んでいるんだよ」という。マグネシウムを一杯含んでいるから「いいねえと渡辺さんにも勧められたから…」という。
「心筋梗塞を起こしたからね」
発作を起こしたことは聞いていた。それで渡辺先生に勧められて、サプリメントと青汁を摂っているのだという。同じ大正5年生まれの渡辺先生は上田さんのことをいつも気にかけているようだった。
部屋の中はちゃぶ台と戸棚、テレビがあるだけで、後は扇風機がこちらを向いて首を振っているだけだ。鴨居に額には入った女の人の写真があった。「ああ、あれは死んだ女房だよ」という。
子供もいないし、この年で男やもめだと笑っている。
しばらく世間話をしていると、「ところで」と急に神妙な顔つきになった。「本を出してくれるそうで、お宅の社長には感謝している」といわれた。
数日前に上田さんの本を出しことになったと朝の会議で編集長が告げた。内容は健康食品の薬事法規制についての本だという。それまで薬事法の健康食品規制を知る方法はほとんどなかった。数年後には薬業時報という医薬品業界の専門紙が「無承認無許可医薬品医薬品流通防止のための医薬品の範囲基準ガイドブック」を出したが、このときははまだその前だった。
「確かにそうした本が出れば重宝しますね」と葛西博士はいう。しかし誰が編集するのかという疑問が湧いた。「君たちにやってもらう」と編集長は言う。これは博士しかないと誰もが思った。しかし編集長は私にやれという。葛西博士とはすでに話が着いているようだった。著者は上田寛平さんだといわれて、なるほどと納得した。葛西博士とは馬が合わないのだ。仕方なく引き受けることになった。
著者になる上田寛平さんは今までもこの連載に何度か登場している。覚えている読者もいるだろうが、一応解説しておく。生まれは北海道の札幌で、戦前に中央大学の法学部を出ている。弁護士になろうとしたのかもしれないが、陸軍経理学校に入り、陸軍の経理畑で主計という仕事についた。南方の島で終戦を迎えたときは陸軍主計大尉になっていたようだ。
「生命科学」という雑誌の主幹だったこともあるが、私が初めて会ったときは日本健康食品製造事業協会という業界団体の専務理事だったと記憶する。しばらくして玄米菜食運動の団体である日本総合医学会の幹部もやっていた。この間、この人は業界で健康食品の薬事法規制の研究家として業界に知られていた。つまりこの分野でこの人の右に出るものはいなかった。
一段落すると、ちゃぶ台に広げられた資料についていちいち解説が始まった。
(ヘルスライフビジネス2018年8月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)