食品には本来“食効”がある(106)
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「君は何年になる」と私の顔を伺うようにして、そう言った。
1979年入社だからこの仕事に就いて、そろそろ4年半になる。
「それなら法律のことは多少分かっているなァ」という。
もちろん分かっているからこの仕事を引き受けたのだ。しかし分かっているつもりだったが、あえてそう言われるとやや自信が揺らぐ。
「そうか」と言うと話し始めた。
日常的に摂っている食品が我々の健康の維持・増進に役立っていることはわかるだろうという。確かにそれはその通りだ。しかも最近の研究ではさらに進んで病気の予防や治療に役立つ効果のあることもわかって来ている。渡辺先生から教わっている世界の学会誌にもそんな論文が次々に載っている。
「それを我々は“食効”という」我々とは世界の学者ではなく、上田さんたちのことらしい。
確かに「薬効」ということはよく聞くが、“食効”という言葉は聞いたことがない。
「今時ビタミンを医薬品だとしているのは日本くらいだ」と笑いながら、ビタミンが医薬品になった歴史を話し始めた。
ビタミンは紛れもなく食品の成分であるが、これが医薬品となってしまったのは日本特有の事情もある。ビタミンC・B1も食品から見つかった栄養素だった。
ビタミンCは、昔、イギリス海軍で長い航海をすると下級兵士が壊血病にかかったのだが、食事に果物が出る士官にはかからなかった。そこで海軍の軍医だったトーマス・リンドが実験を行い、オレンジなどの柑橘類の果物が壊血病を防ぐことを突き止めた。これが食事に取り入れられるまでにはしばらくの時間がかかったが、安価なライムでこの病気を防ぐことになった。ただしビタミンCが発見されるのは1933年までかかった。
一方、ビタミンB1の舞台は日本だった。海軍軍医のトップだった高木兼寛と陸軍のトップだった森林太郎(森鴎外)の脚気(かっけ)を巡る論争が有名だ。
海軍の水兵の間に脚気が蔓延して悩んでいた高木は様々なものを食べている士官に脚気がないことに気付いた。それで白米に大麦を加え、肉にエバミルク(練乳)を加えるなどしたところ脚気の症状がなくなった。
ところが鴎外は細菌な原因で起こる病気として対立した。結果は日清戦争で多くの脚気を出した陸軍の負けに終わった。しかし、ビタミンB1の発見は東京大学農学部の鈴木梅太郎が、オリザニンを発見するまで待たなければならなかった。
「これらの成分を投与すると病気が治ったので、ビタミンが医薬品になってしまった」と上田さんはいう。このビタミンをみても分かるように、食品の成分には効果がある成分が多く含まれているという。
ところが薬事法では、病気の予防、治療を目的につくられたものは、すべて「医薬品」だとしている。その一方で、ビタミンのように本来食品であるものが、医薬品の範囲に入れられ、それを使ったり、食効を言ったら薬事法違反として取り締まられている。これは本来おかしなことだ。
「それで今まで法廷で争われてきた」
2月には「高麗人参濃縮液事件」、9月には「つかれ酢事件」に相次いで最高裁の判断が下っている。また4年前にも東京地裁で「霊元素アトム事件」に判決が出ている。いずれも食品か医薬品かが争われたもので、残念ながらどれも有罪判決が下った。
「しかし注目しなければならないのは、いずれの裁判でも、“食効”があるとう事実を否定していないことだ」
思わず上田さんの言葉に力がこもった。口角泡を飛ばすというが、次第に上田さんの唇の端の泡が溜まり始めた。それを見ながら、どんな本になるものやらと、先が不安になった。
(ヘルスライフビジネス2018年9月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)