財政悪化で医療費の自己負担が始まる(113)
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「木村君は、呑気な父さんだなァ~」と渡辺先生はいう。そういわれても、呑気な父さん?となる。そういわれたのは今回ばかりではない。
だが、とにかく呑気な父さんとは何なのか当時は分からなかったし、実は今もって分からない。
それで調べたことがある。すると大正12年から昭和にかけて報知新聞で連載され、人気を呼んだ4コマ漫画らしいということが分かった。戦後になっても映画化されているから、ずいぶん人気があったに違いない。漫画に詳しい奴から聞くと、楽天的でとぼけたようなおじさんを主人公にした漫画らしいということは分かった。
確かに私は物事にあまり悲観したことがない。おそらく楽天的な方なのだろう。それで奇麗なお姉ちゃんには興味があるが、ジジババの高齢問題などにはほとんど興味がなかった。31歳だから、どうせ社会保障制度のやっかいになるのは数十年先のことだと思っていた。
ところが渡辺先生は「あんた方の商売はこの高齢化で成り立っているんだよ」という。だから勉強しろというのだろう。
確かに健康についての情報が仕事だが、裏返せば病気や介護の情報を扱う仕事ということにもなる。どうも暗い商売だと思う。20代後半からこの仕事に付いてからというもの、やれがんだ、糖尿病だといつも病気が付いて回る。たまに会う学生時代の友人たちが天真爛漫に青春を謳歌しているのを見ると、正直羨ましかった。
そんなことを思っていると、先生の奥さんがお茶をお盆に乗せて部屋に入って来た。先生の最初の奥さんが亡くなって、秘書だった今の奥さんと再婚したそうだ。丸顔な優しい感じの人だ。
「また難しい話ばかりしてるんでしょう。木村さんが気の毒よ」という。そう、そうなんです。僕は気の毒なんです、何時も怒られて…と口に出して言えない。
お茶と一緒にお菓子が出た。羊羹だった。一口食べると、口の中に上品な小豆の味が広がった。聞くと「虎屋」の羊羹だという。なるほどと思う。スーパーで売っている1本数百円の羊羹とはまるで違う。京都で御所の御用を務め、明治帝と一緒に東京に出てきたという由緒ある和菓子屋だ。しかもそこの名物の羊羹である。
お茶を飲み終わると、「とにかく聞きなさい」とまた勉強だ。机にコピーを広げた。いつもの先生の手書きのメモだ。細々と社会保障の問題が書いてある。それを見ながら不肖の弟子に講義が始まった。
この年、つまり1983年のことだが、老人保健法施行された。それまで国はは1973年に出来た老人福祉法を改正して、老人の医療費を無料化していた。これは高齢者に限らず、この時代には健康保険加入者は無料で医療を受けられた。背景にあったのは高度成長による豊かな財政があったればだった。
しかしその後、高度成長が終焉してオイルショックが起こり、世の中は低成長の時代に入る。すると税収が目に見えて減り、それまでの椀飯振舞も祟って財政がみるまに悪化した。1981年に第2次臨時行政調査会(臨調)が経済界から土光敏夫を会長に迎え発足した。1983年には「増税なき財政再建」を掲げ、国鉄、電電公社、専売公社などの分割、民営化などを提言した。これに先立ち1982年には改造鈴木内閣は「財政非常事態宣言」と出している。この年に発足した中曽根内閣は予算編成の前を5%圧縮する「マイナスシーリン」を適用した。1983年に国の年間予算は50兆3796億円で、国債発行額は13兆3450億円で依存高は26.5%になっていた。
この財政再建の中で、医療費の不足をカバーするため自己負担が導入されるようになって行く。この翌年の1984年から1割負担になり、1997年には2割に、さらに平成14年(2002年)には3割負担になる。高齢者では1983年に老人保健法が導入され一部自己負担が始まったが、2002年(平成14年)には1率負担医療費も自己負担率に引き上げられ、現在では69歳までは現役世代と同じに3割、70歳以上は2割、75歳以上は1割となっている。ただし70歳を超えても現役時代と同じ収入のある人は3割負担になっている。1995年に介護保険法が成立、2000年に実施され現在に至っている。
(ヘルスライフビジネス2018年12月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)