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【追悼】プロレスラー・文京区議 西村修さん
プロレスラーで文京区議会議員の西村修さん(53)が2月28日、がんのため死去した。西村修さんは現役時代の1998年に後腹膜腫瘍を罹患するも、食事療法を含むさまざまな民間療法によって病を克服。2000年にリング復帰を果たした。そうした経験から、2012年に東京都・文京区議会議員に選出されると食育を重視した健康政策を展開。しかし、昨年3月にステージ4の食道がんに侵されていることが発覚し、現役レスラーとしてリングに上がりながら治療を続けてきたが、53才の若さで帰らぬ人となった。本紙では、文京区議の1期目であった2014年3月に、がん闘病の経験や食育の重要性について西村さんにインタビューを実施。追悼の意を込めて、当時の記事を再掲する(ヘルスライフビジネス2014年3月15日号より)。
「食育」を重視した健康政策にまい進
プロレスラー・文京区議会議員/西村修氏に聞く
プロレスに少しでも関心ある人なら「西村修」と聞けば、知っているだろう。西村さんはキャリア23年の現役プロレスラーとして活躍する傍ら、東京・文京区議会議員としても地域のために活動している。議員になるきっかけとなったのは、がんによる闘病であった。平成10年に若くしてがん(後腹膜腫瘍)を患ったが、切除後はあらゆる伝統療法を試みたことで、プロレスラーとしても見事復活。最終的にたどり着いたのは玄米など穀物を用いた日本の伝統食が中心の食事療法を食生活に取り入れたことだ。ビタミン類や食物繊維など栄養分の豊富な穀物類を摂ることの大切さを多くの人に伝えていきたいという食育を重視した健康政策に取り組んでいる。西村さんに食育の重要性、がんとの闘いなどについて聞いた。(編集部 花里・檜山)
―まず最初に、区議会議員としてのお話を伺います。西村議員は健康、教育、福祉などご自分の政策についてのお考えを持っていますが、根幹となるのは何ですか。

西村 私はがんを患って完治するまで、食の重要性をとても実感しました。日本人が昔から食べてきた米、玄米を中心とした伝統食の回帰こそが、大事であり、その柱となるのは「食育」だと考えます。私の食育への思いは健康政策、教育政策、福祉政策など私の政治政策、政治信条全般に深く関わってきます。肉や脂肪、糖分の多い米国型の食品が日本人の健康にどれだけ悪影響を与えてきたか、多くの人が知らなければいけません。
―なぜ、これほど食生活が乱れてしまったのでしょうか。
西村 最大の原因は敗戦直後のGHQによる学校給食制度だと考えます。当時は脱脂粉乳でしたが、その後、毎日牛乳が出されるようになり、パン食や加工肉、揚げ物などが一般的に取り入れられるようになったことで、国民の多くの舌に馴染んでしまったのが要因です。今や日本人の食生活はたいへんおかしくなっており、一般の人たちにとって何が正しいのかわからなくなってしまっています。
昨年は日本食文化が世界遺産に登録され、大きな話題となりましたが、国民の食生活では欧米の食文化ばかりが目立つ現状です。やはり、米などの穀物を中心とした食文化を大事にする心を啓もうしていきたいです。
―区議会議員として具体的にどのような政策に取り組んできましたか。
西村 私は平成23年に議員になりましたが、子供たちの学校給食のメニュー改善などに向けて、取り組んでいます。学校給食は子供たちにとって週に5回も利用するもので重要です。子供たちにとって食は体力だけでなく、精神にも影響を及ぼします。最近のキレやすい子や非行に走る子にとって食事との関連性は十分あると考えています。
私は現在、どこの政党にも属さない無所属議員であるため、他の議員一人一人にこの現状をわかってもらうために説明しながら、賛意を得るよう努めています。その甲斐あってか、私の食育への考えに理解を示す議員も少しずつですが増えてきました。
給食の改善で非行ゼロにしたことで有名な長野県上田市の真田中学校はそのモデルとして大いに参考にしています。
当然、区議会議員としては、自分の政策実現を目指すだけでなく、区で行っている土木事業で起こる地域住民からの苦情対応など、やらなければいけないことは山ほどあるのですが、この「食育」への考えは、今後も大事にしていくつもりです。
―議員になるきっかけとなったがんとの闘病についても教えてください。
西村 私は平成3年に新日本プロレスでデビューを飾りましたが、その2年後には海外修業として米国に行くことになりました。米国ではヒロ・マツダさんやドリー・ファンク・ジュニアさんにお世話になり、様々な経験ができました。ただし、体を大きくするのに必死だったため、毎日安くて大きなステーキ、乳製品ばかり摂っていました。そのような食生活を約5年続けました。今、思い返すと無理な食生活を強いられたものです。がんになったのは、ちょうどその後でした。
―がんが見つかった時のお気持ちは。
西村 悪性腫瘍という正式結果が出た時はそれほどショックではなかったです。それよりも、その何日も前から、体調が悪く、腹にしこりがあるのを感じていたことそして、しこりは少しずつ大きくなるのが自分でもわかったことが怖かったです。そして東京・信濃町の慶大病院でお腹を触診してもらった時点で、医師からがんの可能性を告げられました。その時の、「がんかもしれない」と言われたときのショックは計り知れないほど大きかったです。
その後、精密検査によって後腹膜の悪性腫瘍(がん)であることが正式に告げられました。腫瘍切除後の療法について、いろいろな方のアドバイスを参考にしました。いつ再発・転移するか検査のたびに、怖い思いをしたからです。
それ以降、化学的な療法はやらないことにしました。そこである東大の先生から東洋、西洋の伝統療法の良さを教えてもらいました。医師の多くは残念ながら栄養学に無知ですが、その先生からは、たいへん有益なアドバイスをして頂きました。
―具体的にはどういう療法に取り組んだのですか。
西村 私は世界中を旅して、各地に伝わる伝統的な療法を試してみました。台湾の漢方療法、インドのアーユルヴェーダ療法、イタリアの完全無農薬野菜療法など。そして冒頭で申し上げた通り、最終的に日本の伝統食である穀物を中心とした食事療法にたどり着きました。世界中を旅して各地の伝統療法に出会ったことは、私にとってものすごく意義のあるものとなりました。各地の伝統療法に出会わなかったら今の私はなかったでしょう。私はがんを克服してからは、肉や牛乳、砂糖を含んだ食品、コーヒーは一切、口にしていません。長い間玄米を中心とした食事を続けています。それによって、風邪さえひかなくなりました。
―プロレスの試合はどのくらい出ているのですか。
西村 近年は全日本プロレスを主戦場として年間40試合程度出場しています。食事療法はもちろんのこと、毎朝欠かさずにラジオ体操をして、自分に合ったトレーニング法を続けています。試合運びもパワーに頼るものではなく、関節技や固め技を中心としたスタイルを貫き、良い試合ができています。
―かつては国政選挙にも立候補されましたが。
西村 今は区議会議員として当選させてもらったのですから、まず文京区民の食育に取り組んでいくことを重視したいです。地域の食育がしっかりすれば、日本の国民全体にも良い影響を及ぼすことができると思います。
3年前の福島の原発事故で文京区議会でも多くの議員が多くの議員が放射能数値測定だけを騒ぎ立てていました。しかし、私は日常の食生活を改善させ、免疫力をあげることで放射能から身を守ることの方が大事だと思っています。これを提案したのは区議会で私ただ一人でしたが、自分の信念を曲げずに、真の食育によって、人々の健康長寿実現に貢献したいと思います。
-ありがとうございました。