マンハッタンのわずかなエリアに10以上の専門店があった(47)

2023年7月25日

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ニューヨーク市立図書館の見える場所まで来ると、イーストリバーの方からビルの谷間へ雲がやってくる。しばらくすると大粒の雨が路面をたたき始めた。辺りの人が慌てて図書館の入り口に走って行く。私も続いて逃げ込んだ。マンハッタンの雨宿りとは粋なものである。後年、ニューヨークを舞台にした映画「ゴーストバスターズ」で幽霊出現の舞台の一つとなったところだった。

濡れた人が髪や服を拭いている。誰もが雨を楽しんでいるようだ。しばらくすると雨雲が通り過ぎて、また7月の太陽が辺りを照らし始めた。街の散策を始めてからすでに2時間は経っていた。切り上げて、ホテルに帰った。

昼食の席に着くと、それぞれが報告し合った。南北に約400ⅿ、東西1kmほどのエリアに、なんと3店のビタミンショップやナチュラルフーズストアがあった。繁華街とはいえ4人が回ったエリアだけで10店を超える店があった。

「驚いたねェ」とコーディネーターの富田さん。米国の業界事情に精通しているはずだが、ここまで店が多いとは知らなかったようだ。

ところが「日本ではここまで店が増えないでしょう」と葛西博士が言い出した。「まるで予言者だな」と編集長が混ぜ返す。しかしこの予言は当たらずといえども遠からずだった。

当時の日本では、訪問販売などの無店舗販売がサプリメント市場の大半を占めていた。店舗で販売しているのはデパートの健康食品売り場くらいで、米国で急増している専門店は日本では大半が味噌、しょうゆなどの自然食品を売っている零細な店ばかりだった。どう考えても都心の一等地にビタミンショップやナチュラルショップが店を出している姿が思い描けない。そういう彼の見方も、あながち外れていたわけではなかった。

それから約10年後の1990年代になって、健康食品は遅ればせながら日本の店舗でも流通するようになった。しかし、ドラッグストアが大半であり、専門店の多くは零細のままだったし、数も増えなかった。この時期にはネットワークビジネスという新たな販売方式が日本市場に上陸して隆盛を極めるようになる。さらにファンケルやDHCが登場して2000年代の通信販売の時代を作って行く。

そんな会話を交わしているうちに、頼んだランチが運ばれてきた。私の皿を見て驚いた。
ローストチキンと書いてあった。これがメニューのうちで、すぐに理解できる英語だったから注文しただけだ。値段も確か10ドルくらいで、いつもの昼食よりやや高めの値段だったが、旅先だからまあいいかと奮発した。東京だったら、皿の真ん中に慎ましく焼いた鶏肉が乗っている。そう思っていたから、チキンの半身が皿に乗って出てきたのには驚いた。

<ナニこれ? みんなで食べろってこと?!>と思ったが、富田さんによると、こちらでは女性でもこの程度は昼食に平気で食べるそうだ。

「太るはずですね」というと、まだそんなものではないという。そのうえデザートにどんぶりみたいなカップに入ったアイスクリーム、大きなシフォンケーキを食べるのが普通だという。

米国のお姉ちゃんに負けてたまるかと大和魂を奮い起こしてチキンに挑戦した。しかしほんの少し食べただけでお腹が一杯になって、デザートには手が出なかった。

午後にはツアーの人達とセントラルパーク沿いの自然史博物館に行き、恐竜の化石を嫌というほど見て、夕食後にエンパイアステートビルに上り、わずか2日のニューヨーク滞在は終わって行った。

(ヘルスライフビジネス2016年3月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第48回は8月1日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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