飛行機で“マーバラス婆”空を飛ぶ(66)
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年が明けて、1982年(昭和57年)になった。3日が日曜日のため、4日から仕事になった。新年の顔合わせで編集部に4人の侍が集まった。3名は編集長と葛西博士に私だが、もう一人は事務の宇賀神さんだ。彼女は経理兼事務だったが、以前は消費者経済新聞の記者だったこともあり、自分が記者として採用されなかったことに不満を抱いていた。ことあるごとに自分の待遇に文句をいう。あまりうるさいので、新年から記者の仕事も兼務することになった。
「つまり昇格したわけだ」と博士が皮肉交じりに言う。しかし相手も負けてはない。「事務の仕事を差別している」とむくれる。編集の仕事には違いないが、与えられた仕事がつまらないというわけだ。確かに新製品の紹介と催事の記事では面白いはずはない。
「校正の仕事だってあるじゃない」と私もいうと、「つまり雑用でしょう」とまたむくれる。
「仕事は面白い、つまらないでするものではないよ」と編集長。しかし雑用なのは確かな話で少しだけ同情した。
「とにかく今年は忙しくなりそうだ。それで新人を一人募集してくれるように園田さんに頼んだ」と編集長。
確かに忙しそうだ。3月には晴海で展示会もある。また米国の市場視察ツアーもある。セミナーもやるという。月3回の新聞の発行はそのままだが、頁が徐々に増えている。
幸いにして展示会の出展企業は無事集まったが、具体的な運営方法が分からない。これも困ったが、展示の具体的なことは晴海の展示会場の紹介で、出入りのイベント会社が受け持ってくれることになった。
年末にその会社の社長が挨拶に来た。社長の名前は清水さんといい、丸顔で小太りの40歳くらいの中年男だった。鼈甲の縁の眼鏡をかけて、鼻の下にひげを蓄えている。さもデザイン業界の関係者のような雰囲気の人でだが、とにかくいつもニコニコしていて愛想がよい。
会社の入り口に来ると、ネクタイを直す。そのさまが大げさだ。大きな声で「おはようございます!」と事務所全体に響き渡る大きな声であいさつする。連れてくる社員の多くがひげを生やしている。後で知ったが、こうして会社を印象付ける戦略だそうだ。
この社長が「運営は任せてください」と胸を張る。大船に乗ったつもりいれば良いということらしい。もちろんこちらは展示会の運営は素人はこの船に乗るしかないわけだが、とにかく頼りにするしかない。
ところが編集長は「こちらにできることも多少ある」という。展示に絡めた企画だ。業界がアッと驚くような人を呼ぶというのはどうかという。どうも正月の間に考えて来たようだ。
そして答えは意外なものだった。昨年ニューオリンズで開かれた展示会で初めて会った米国の健康自然食品の協会団体NNFAの理事長ローズマリー・ウエスト女史を日本に招待するというのはどうだという。あの“マーバラス婆”のことだ。葛西博士に言わせると若かりし頃は結構な美人だったのだろうけれど、今ではホウキに乗って空を飛びそうだということになる。「飛行機で来るんだから“マーバラス婆”空を飛ぶ、というわけだ」と口が悪い。
とにかく「あの人を呼んで栄養自由化法の話をしてもらえば、展示会にふさわしいゲストになる」という言葉は目から鱗で、みんなが賛成した。健康食品を法的に認めさせることは日本でもこれから必要なことだったからだ。