最初の部下に校正の仕方を教える(68)
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私にとって最初の部下ができた。ところがこの部下はとにかく不愛想だ。話しかけないと、ずっと黙っている。すぐべらべらとしゃべる葛西博士とはまるで違う。
不運なことにその日は校正に行くことになっていた。それで彼と2人だけで印刷屋に行った。午前中の出張校正室は我々だけで誰もいなかった。机の上にゲラが無造作に置かれていた。聞こえるのはゴウゴウというエアコンの音ばかりで、静まり返っている。おかげで部屋の中は暖かだった。お茶を飲むと、さっそく仕事にとりかかった。
「校正のやり方は…」と、一通りのことを教えたが、黙って聞いている。うんでもすんでもない。もちろん校正するといっても大したことはない。基本的には文字や文章の誤りを見つけて、赤のボールペンでチェックする。それで校正を「赤字入れ」という。この赤字入れは、一般的な教養さえあればだれでもできる。
「分からなかったら聞いてね」と言って、私も校正を始めた。特有の校正記号ややり方はあるが、とどのつまり職人さんに分かれば良いのである。
説明を終えると、岩澤君も自分で文書を読んで直しはじめた。仏頂面してはいるが、飲み込みは早いようだ。しばらくすると彼は重い口を開いた。
「この記事のツアーはだれが行くんですか」
見ると、3月に我々がやる米国健康食品市場視察ツアーの募集記事だった。このツアーに主催側で行くのは誰かということを聞いているのだ。旅行社のJTBからは添乗員が乗ってくる。以前紹介した横浜支店の小沢さんだ。そして編集部からは編集長と私が乗っていくことになっていた。
そのことを告げると、「ああそうですか」と言ったきりで、会話が途絶えた。やがて校正の終わったゲラを受け取った。当然ながらチェックしてみた。文章を辿っていくと問題を見つけた。自然食品の記事だった。
ゲラの文章には、「江戸時代からの製法で造った味噌を…」と書いてある。この場合の「造」は建物や船など大きいものを対象にしたときに使うもので、味噌など小さいものは「作る」と書くのが常識だなどと、先輩面してご託宣を並べた。ところが寡黙なはずのこの男が突如口を開いて反論した。
「でも造り酒屋っていいますよね」
これには参った。確かにそういう。自分の顔に動揺の表情が浮かぶのが分かる。でも先輩の沽券にかかわるとケチな料簡が頭をもたげた。校正室にある辞書を持ってきて引いた。「こういうときは我見で判断してならない」と適当な理由をつけて、その場をしのいだ。
辞書を開くと、「つくる」には3つの文字がある。「作る」、「造る」、「創る」で、それぞれ使い方が違う。「作る」は様々なものをつくるとき、特に小さいものをつくるときに使うと書いてあった。
「ほら、いった通りだろう」とちょっとえばった。そして「造る」は建物など大きいものつくるとき使うとある。しかし酒や味噌を大きな工場で作る場合は「造る」を使うとも書いてあった。えらいこっちゃ。彼の当たりだ。ところがその後に、家庭でつくる場合は「作る」を使うと付け足しのように書いてあった。この付け足しで、私のプライドはようやく保たれたといっていい。
それで「大規模な工場でつくる場合は『造る』」と言った後、「小さい工場や家庭でつくるときは『作る』を使うようだ」とちょっとだけ嘘をついた。痛み分けを狙ったが、彼には「小さい工場」というのが効き目があった。
「この製品の工場はどんな規模のところでしょうねェ」という。それで、「手作りの味とか自然な製法などと書いてあるんだから、大規模な工場であるわけがない」。
ということで、彼の前では「作る」に直した。しかしゲラを職人さんに渡す前にこっそりと「造る」に変えておいた。
(ヘルスライフビジネス2017年2月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)