“食は台湾に在り”でお昼ご飯をご馳走になる(83)
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夏場の台湾取材が翌年のクロレラの原料価格を左右するとは知らなかった。当時、日本のクロレラ市場は200億円以上の規模があった。その市場に関わる企業の業績が私たちの記事の書き方一つで決まると思えば、とても怖くて書けなかったことだろう。その後、台湾で作られているクロレラの原料は欧米でも売られるようになった。しかしこの頃は大半が日本で消費されていた。だから台湾の企業にとって、我々は大事な客だったわけだ。
しかしそんなこととはつゆ知らず、我々はそろそろ空腹も限界を迎えて、お腹が鳴り始めていた。
「さあ、行きましょう」
取材で満足いく感触を得たのか、謝社長は私たちを遅めの食事に招待してくれた。近くのレストランで簡単な食事だったが、我々にすれば初めての台湾での食事だ。
ビールちょっと、いいですか」と勧められる。周りを見ると、飲んでいる人もいる。お酒に寛容なお国柄のようで、私たちには大いに歓迎だ。出てくるメニューにいちいち感動していると、「美味しいですか」と社長は盛んに聞く。どうも気遣ってくれているようだ。日本の中華料理と味付けや香辛料が違う。ラーメン屋の中華料理はほとんど日本料理といってよい。横浜の中華料理でも日本人に合った味になっている。それを中華料理だと思っている人の中には食べれない人もいるそうだ。
「美味しいですよ」と率直にいうと嬉しそうにニコリとして、台湾の中華料理の自慢が始まった。
台湾は1949年に国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党が大陸から渡って来た。このとき、中国にあった歴史的文化財の大半は台湾に持ち出された。70万点ともいわれる中国の宝物は台北市の郊外にある故宮博物院が収めているそうだ。
しかし、台湾に移ったのは文化財だけではないという。社会主義の中国では美味しい料理は贅沢で、それを作っていた料理人は人民の敵というわけだ。共産党が内戦に勝つと、中華料理の優れた料理人はみんな台湾と香港に逃げ出した。しかし香港は食材を作る土地がない。それで大半を中国国内から持ってくる。ところが中国は大変貧しく、食べるのが精いっぱいの状態で、ろくな食材がない。必然的に香港ではたいした料理は出来ないという。
「ところが台湾は…」と謝社長の自慢は続く。ここは良い食材に恵まれているという。
「台湾に3000m級の山がいくつあると思いますか」と聞く。そんなことこちらが知るはずもない。そこで日本だって富士山一つなんだから、あっても一つか二つだろうというと当てずっぽにいうと、なんと100以上あるという。
「ニイタカヤマノボレって知ってますか」
漢字で書くと「新高山」だが、日米開戦の暗号として有名な山だ。今では「玉山」というそうだが、この山の標高はなんと3952mある。富士山が3776mだから176mも高い。
「高い山があるということは高地があることです」
だから平地は亜熱帯の気候だが山の上は雪も降る。場所によって様々な農産物が出来る。料理人は一流で、大陸の様々なところから来ているから、上海、北京、広東、四川なんでもある。さらに様々な食材に富んだ台湾は最も美味しい中華料理を食べられる場所だという。
なんだか嬉しくなってきて、「“食は広州に在り”ではなく、“食は台湾に在りあり”ということですね」というと、謝さんは嬉しそうに頷いた。
(ヘルスライフビジネス2017年9月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)